人間の持つ喜怒哀楽を魂で歌う4人組クルー ──RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUN、それが湘南乃風だ。
2000~2003年、自らのレーベル134RECORDINGSを立ち上げ、合計4本に及んだオリジナルミックス・テープを携えて全国ワン・ボックス・ツアーを敢行。
当時のテープの1本に『湘南の風』という表題があり、後の湘南乃風というクルー名の起源となった。
2003年、アルバム『湘南乃風 ~Real Riders~』でデビュー、現在までに26枚のシングル(デジタルシングル含む)と12枚のアルバム(EP含む)、ベスト盤3タイトルをリリース。
『風伝説』と呼ばれる4人のストーリーを紡ぎ続けている。
「RED RICE」と「HAN-KUN」の2人が湘南で活動していた頃、「SHOCK EYE」と出逢い、お互いの志を確認。
同じ頃、湘南に住んでRaggae Barを経営していた「若旦那」は、中学校~高校時代の知り合いながらしばらく顔を合わせていなかった「SHOCK EYE」と、偶然にも茅ケ崎で再会。
それぞれが出会い、自らの風を吹かせるための活動がここから始まった...。
湘南乃風のリーダー。タフな低音が身体と心を揺さぶるワイルドなスタイルで魅了するRED RICE。
かつてオールドスクール・テイストの名残を止める地元エリアにおいて当時から王道のラガボイスで的確に韻を踏んでいくジャパニーズ・スタイルを体現していた彼は、湘南乃風の中でもいち早くシーンに頭角を現す。出自を134ストリートに置く彼はエリア独特のノリ重視の楽曲も得意としており、シリアスとユーモアを往き来する独自スタンスはクルーに色濃く投影、人生の機微を歌う湘南乃風の多様性を担っている。
青春時代の大半をルックスと違わぬハードコア・ウェイでサバイブしてきた、若旦那。
湘南生まれレゲエ育ちの3人の風が若旦那という異風(威風)に出会ったことが、今日まで続く最強ストリート・オペラ『風伝説』の起源と言っても過言ではない。
彼自身、生来のプロデューサー気質を134クルーで開花、初期から中期まで多くの名曲誕生の原動力となってきた。〈歌心は、人間、生〉。
その特性は、音楽以外の活動でも大きな力を発揮。
ムコ多糖症という難病と深く関わり合った2007年の『てるてるいのち』、ジャマイカの隣国ハイチ大地震を受けた2010年の『LOVE FOR HAITI』、そして2011年、東北大震災直後には『LOVE FOR NIPPON』として行動を開始。
自らの人間力を源にした一貫した活動は当然歌にも反映、当初のダミ声から胸に染みるシンガー・スタイルまで幅を広げている。
ソロでは本名「新羅慎二(Nira Shinji)」名義で音楽活動のみならず、俳優、執筆、ラジオのパーソナリティなど、多方面において活躍中。
スムースSing Jay(レゲエ特有のラップとシングの融合)スタイルとも呼ぶべき独特の語り口を魅せつけるSHOCK EYE。 堅いライミング、高速MCといった刻むハイ・スキルは、HIP HOP DJからレゲエ・サウンドに所属した後、Dee Jayへと転向していった音楽家としてのキャリアをトータライズしていったことに由来する。
また、常に内なる葛藤と向き合うことでコンプレックスをポジティヴなエネルギーに転化、強力な武器に変えてきた経緯は自身も承知。故に、〈溢れるその熱情は彼を語る上でハズせない特徴のひとつ〉だ。近年はトラック制作チームAmin03としても良質なサウンドを提示、音楽への強い探究心と幅広いジャンルへの造詣に突き動かされるように2011年にはポルノグラフィティの新藤晴一とサウンド・クリエイターの篤志とともにTHE野党を旗揚げ。今後の動勢にも注目が集まる。
現在も(もちろん!)継続中のレゲエの約束の地・ジャマイカと日本のタイムラグのない往復、客演として数多のコンピ・アルバムや他アーティストの作品に継続的に参加、さらに単独クレジットによる野外フェスからクラブまで昼夜を問わぬ圧倒的な本数のステージを経て、ソロ・アクトとしても不動の地位を築き上げるHAN-KUN。
彼は〈ハードコアなかけ合いもできてサビも歌える自分だけのスタイル〉を極めようとメッセージする歌い手であり、 そこから冠された異名はVOICE MAGICIAN(ヴォイス・マジシャン)。
いちDee Jayとしての意識は高く、またRUB-A-DUB(ラバダブ)と呼ばれるダンスホール流儀のフリースタイルを得意としていることも現場を知る人なら周知の事実である。その名が表す通り、高音域を駆使した特徴的なマジック・ヴォイスで湘南乃楽曲にミラクルとケミストリーを起こす。